文学作品を読んでみよう!②~井伏鱒二~
日本の文学作品第2弾
こんにちは!トライプラス千葉みなと校の本田です。
教室ブログ第29回に引き続き、日本の文豪の作品についてご紹介したいと思います!
今回取り上げる作家は...井伏鱒二です!!
井伏鱒二の妙訳『勧酒』
井伏鱒二(いぶせ ますじ)というのは実はペンネームで、本名は井伏 滿壽二(いぶし ますじ)というそうです。
本人が釣り好きであったことから「鱒」という字をあてはめたと言われています!
さて、そんな井伏鱒二の作品といえば『勧酒』という詩をご存じですか?
『勧酒』というのは、唐代の詩人于武陵(うぶりょう)による漢詩です。
いくつか解釈の余地がありますが、この詩は人生における「人との別れ」を主なテーマとしています。
白文と書き下し文はこちら。
勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
君に勧む 金屈卮
満酌 辞するを須いず
花発けば 風雨多し
人生 別離足る
「金屈巵(きんくつし)」というのは、とってがついた黄金の大型の杯のことで、
「満酌」は杯になみなみと酒をつぐこと。満酌を「辞することをしない」ということなので、
ここでは「このなみなみに注いだ酒に遠慮をしないでくれ」といったような意味になります。
この詩について井伏は以下のように訳しました。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
このさかずきを受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ
「金屈巵」という器を「さかずき」と言い換えたり、日本の文化に合わせた訳となっているのがわかります。
訳全体も台詞(せりふ)のような口語体になっており、日本語の語呂に合わせた改変も見事です。
特に有名なのは第3句、第4句の「花に嵐のたとえもあるぞ 『さよなら』だけが人生だ」という
井伏独自の訳です。
「さよなら」だけが人生だ
『勧酒』は上記で説明したように「人との別れ」についてが主題となっており、
漢詩の方の第4句「人生別離足る」には様々な解釈があります。
直訳すると「人生には別れが多い」といった意味ですが、みなさんならこれをどう解釈しますか?
「人生に別れはつきものなのだから、今回の出会いを大切にしよう」
「別れは仕方のないものなので、今はせめて、精一杯この別れを惜しむことをしよう」
こういった例を挙げてみると、井伏の訳はかなり思い切りのよいものとなっていますよね。
井伏の訳第3句の「花に嵐のたとえ」とは、「花が開くと風雨(嵐)が起こる」といった「約束された困難」のことです。
井伏はこれを、「生きているうちで『別れ』が約束されているものであるならば、人生はそれ自体『左様なら』でできている。」とまで言い切ったといえます。
孤独をユーモアに描いた作品『山椒魚』
山椒魚は悲しんだ。
彼は彼の棲家である岩屋の外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることはできなかったのである。
さて、そんな井伏の文才がきらりと光る作品の一つが、上記の一文から始まる短編『山椒魚』です。
この「山椒魚は悲しんだ」というフレーズはどこか聞き覚えがあると思いませんか?
そうです。かの有名な『走れメロス』の書き出し文、「メロスは激怒した」はこの作品の影響を受けたという説があるそうです。
この作品は冒頭文の通り、山椒魚という生物が主体となった物語です。
山椒魚はある岩屋の出口から自分が外に出ることは叶わないと悟り、その生涯を孤独な”幽閉生活”として過ごしていくことになります。
山椒魚が主人公だなんて、なんともユーモアのある発想だと思いませんか?
どうして山椒魚?
この物語の主人公はなぜ山椒魚だったのでしょうか。
それは井伏の中学時代のあるエピソードを踏まえていると言われています。
あるとき井伏は寄宿舎で同室であった宮原哲三と「山椒魚が噛みつくと、雷が鳴っても放さん」という話が本当であるかどうかで口論になった。
そこで藺草で縄を作ってその先に蛙を結びつけ実際に試してみたところ、井伏が主張したとおり、雷鳴が起こっても山椒魚は餌を放さなかった。
しかし宮原がよく観察してみると、それは山椒魚の口の奥まで尖った歯が何百本もびっしり生えていてそれが餌に食い込んでいるためで、
山椒魚が口を開いても蛙は逃げることができず、したがって雷とは別に関係がない、ということがわかった。
井伏は通っていた中学で実際に飼っていた山椒魚の図体や、1年や2年は餌を食べなくても生きているという生態、
ひもじくなると自分の指を食うという言い伝えなどを意識に入れて書いたとしています。
また、井伏が『山椒魚』の原型としての『幽閉』という作品が発表された大正12年は、
当時の井伏は無名の作家で定職もなく、さらに親友を病で亡くすといった まさに人生の”挫折”を味わった時期だと言われています。
かつて中学時代に出会った山椒魚に自身を投影し、彼自身が味わったこの”挫折”を山椒魚の”孤独”として
擬人化した物語を書きあげたのです。
まとめ
今回は井伏鱒二の作品を紹介させていただきました。
井伏は漢詩の訳や文学の作品でも、日本語による美しい表現を見せてくれます。
今回紹介した『山椒魚』は、翻訳調の台詞や文章を巧みに扱い、皮肉めいた表現をすることで
なんだか暗い感じのする物語を、ドラマチックに明るい調子で仕上げています。
みなさんもそんな井伏の世界観にはまってみてくださいね!
トライプラス千葉みなと校でした!